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メジロマックイーン関連ニュース

オークスへ挑むディアジーナ陣営の想い


歓喜の時を皆とともに

 いよいよ大一番が近付いたディアジーナですが、本日の日刊スポーツにこんな記事が載っていたので、ご紹介しておきます。

 オークスの晴れ舞台を踏むディアジーナ(田村)が生まれたのは、北海道浦河町の夫婦で営む小さな生産牧場だ。南部功さん(52)道子さん(50)夫妻で繁殖牝馬4頭を切り盛りしている。今年のクイーンCが、創業46年の牧場にとって初のサラブレッド重賞タイトル。雑草魂で大牧場の馬に立ち向かう。

 生産馬はわずかに4頭。敷地は地方球場のフィールドよりやや大きい程度。ディアジーナが生まれたのは、夫婦だけで営む、小さな小さな牧場だ。1963年(昭38)の創業で功さんは2代目。
「生まれたときは走る子も走らない子も、一緒なんですよ。でも(ディアジーナは)きかない子だなぁというのはありました」。功さんはそう振り返った。

 生まれる前から波乱があった。当初母のアイネスターキンに種付けする予定だったのは、ラムタラ。だが、うまくいかず、すぐにメジロマックイーンを付けることに決めた。予定を聞くと、1日だけ空いていた。慌ただしい中、種付けを終えた。マックイーンが急死する1年前のことだ。
 生まれたときも難産だった。前脚が引っかかり、出てこなかった。「前脚が折れていたかもしれません。もう2人でけんか腰でお産していました」と道子さんは言う。母馬がぐったりとして、もう危ない状態になる寸前に世に出てきた。

 その馬が、牧場に初の重賞制覇をもたらした。アラブのタマツバキ記念を勝った馬はいたが、サラブレッドでは初めて。「本当にいい子を出してくれました。うちは借金がたまってくると、走ってくれる馬が出る。馬が助けてくれるんです」。功さんは感慨深げに話した。5年ほど前、牧場経営だけでは食べていけず、道子さんはパートに出なければいけなかったほど。そのとき走ったのがコスモラブシック。重賞勝ちこそないが、オープン馬にまでなったディアジーナの兄だった

 オークス週の19日。昨年種付けした最後の1頭が生まれた。牡だった。「今年は4頭とも牡だったんです」と道子さんは喜ぶ。生まれた子供が牡か牝は、生産牧場にとっては大きな問題だ。牡馬の方が高く売れる。ディアジーナの活躍から南部夫妻の運も好転してきている。今回のオークスで、オーナーのディアレストの好意により東京競馬場まで足を運ぶ。競馬場に行くのは初めてだ。「一生縁があるかないかの大舞台。周囲がみんな頑張ってくださいと声をかけてくれる。それだけで本当にうれしい。感謝しています」と功さんは語った。2人の願いを背に、ディアジーナは24日、大一番に臨む。【5月22日付け日刊スポーツより】

 田村康仁師(46)はディアジーナを生産した南部功さん(52)道子さん(50)夫妻の願いをしっかり受け止めている。最初は「ブエナビスタのような強い馬と比較されるだけで光栄なこと」と控えめだったが、南部夫妻の話になると熱く語った。「小さな牧場からこれだけの馬が出た。ブエナがいるからといって、簡単にあきらめるわけにはいかない」と言い切った。

 実は18日に内田騎手とともに、夫妻のもとを訪ねた。「生産馬が4頭しかいなくて、つつましく懸命にがんばっている」と印象を話す。「僕にとってオークス挑戦はディアジーナが4頭目。以前は自分の名誉のためにG1が取りたいと思っていた。でも今回は違う。南部夫妻の思い、オーナーの思いのために勝ちたい。ブエナは確かにファンの支持を集めるでしょう。でもジーナだって背負っているものがある」と力強く話していた。【5月22日付け日刊スポーツより】

 暗くすさんだこんな時代だからこそ、胸がホッと温かくなるような感動を僕たちは求めている。見たいのは、人や動物が病気になったり死んでしまう話ではない。本当の感動というのはそんなんじゃない。
 ディアジーナにたくさんの想いをかけてくれる陣営のために、そして今度こそマックのために、我々も全力を。全身全霊で声援を。
 目にしたい夢と感動を現実に。そして競馬場でウインズでテレビ、ラジオの前で、仕事場で、自宅で、感涙を流そう。
 みなの気持ちがあれば決して負けない。

[2009 05/23]

この記事にでてくるお馬さんのプロフィール

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