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The tale of Mejiro McQueen

メジロマックイーン物語『栄光と挫折は紙一重』 - 第六章 「失意と挫折のとき」

「秋の主役もマックイーン!秋の主役もメジロマックイーンです!!」
 宝塚記念の後休養に入っていたマックイーンは、秋初戦に選んだ10月6日の京都大賞典(GII)を楽勝する。この時の単勝得票率71.8%、複勝得票率66.6%、枠連得票率にいたっては実に86%という脅威の支持は、マックイーンの現役時代最高の得票率である。

 この秋最大の関心事は、むろんマックイーンの春秋天皇賞連覇であった。
 宝塚記念の敗戦からマックイーンの中距離適正を疑う声もないわけではなかった。だがこの距離での最大のライバルとされていたメジロライアンが、宝塚記念後に屈腱炎を発症し、戦線を離脱。
 一時期はマックイーン、ライアンに並び3強と目されていたホワイトストーンは、勝ち味に遅い状態でいかにも頼りない。ダークホース的な存在として、重賞2連勝を含む4連勝で、この秋出てきた上がり馬プレクラスニーを推す人もいたが、実績の違いから「マックイーンにどこまで迫れるか」という評価以上のものは与えられなかった。

「マックイーン断然」

 1991年10月27日、第104回天皇賞秋。
 やはりマックイーンは断然だった。不良馬場にまで悪化した馬場をまるで重戦車のように力強く駆けるマックイーンは、スタート直後から抜群の手応えで2、3番手を追走する。
 レースを引っ張っていたプレクラスニーが必死の抵抗を見せるが、マックイーンにとっては赤子の手をひねるようなもの。400mを過ぎたあたりで、あっさりとプレクラスニーを突き放す。

 1馬身、2馬身、3馬身……。どんどんと広がっていく着差に、ファンはため息と感嘆をこぼした。これ以上ない余裕のガッツポーズと、お決まりとなったマックイーンの首筋を撫でて労う光景。マックイーンと武豊による王者の行進を前に、「審議」を意味する青いランプの点灯に興味を示すものはごく僅かだった。
 マックイーンの圧勝に競馬ファンの語る口調も興奮気味。ある者は嘆き、ある者は感激し、強い者を見た満足感で、出てくる言葉も実に饒舌だった。

「只今の競争は2コーナーで……の進路が狭くなったことについての審議を行います。お手持ちの勝ち馬投票券は……」
 場内に響くアナウンスの声に耳を傾けたものがどれほどいただろうか。だが5分、10分、15分と過ぎていき、ムードに変化が現れる。
「おいおい長いな」「なんかおかしくないか」「まさかね……」
 興奮から冷めたスタンドが、ざわめきはじめる。

 その頃、検量室では確定の準備が進められていた。検量室内には異様な空気が立ち込めていた。
 記者が鬼のような形相で駆け回り、テレビ局のスタッフは汗を流しながら、これから起こる事件をどう伝えるか番組構成に苦慮していた。首を横に傾げたり、身振り手振りで何事かを説明する調教師や騎手の面々が並んでいた。

 やがて検量室内にある白版の着順掲示場所の前に立ったJRA職員が、1着の場所に書かれていた13番の文字をかき消す。そしてアナウンスが場内にこだました。
「お知らせいたします。第一位に入線した13番メジロマックイーン号は、第2コーナーで……18着降着とし、着順を変更の上……」
 アナウンスが前代未聞の悲劇を最後まで伝えきる前にスタンドは大きく揺れた。女性ファンは泣き崩れ、大金を賭けていたのか、年老いた男性は怒号を飛ばす。

 人目から避けるように競馬場を後にし、自宅に篭った武豊をマスコミは容赦なく責め立てた。
 完璧なまでにことが進んでいたはずの歯車が完全に噛みあわなくなっていた。

 3週間後、マックイーンと武豊は再び東京競馬場のターフに立っていた。ジャパンカップで世界の強豪に挑むためにである。
 降着に納得がいかないマックイーン陣営はJC ボイコットや裁判などもちらつかせていたが、栄光を取り戻す場は法廷ではなく競馬場で、司法の手ではなくマックイーンと武豊自身の手で、と陣営は奮い立った。

 だが肝心の武豊の表情に冴えがない。シンボリルドルフをも超える単勝支持率41.4%というファンの大きな期待は、彼らにとっては余計な重みだったのかもしれない。
 まるで何かの失敗を恐れるかのように淡々とレースを進め、そして何の見せ場も作れぬままに4着にやぶれてしまう。

「上がりの競馬では厳しいのは最初から分かっていたはず。だったら何故もっと強気の競馬をしないのか」
 あまりにも淡白なレース振りに、またも非難は集中した。だが失意のどん底にいた彼らに、ギャンブルをする勇気も自信もあろうはずがなかった。何よりあの圧倒的な人気が、彼らから大胆さを失わせてしまったのだ。
 宝塚記念で狂い始めた歯車は、元に戻ることなく、いびつな音を出しながら回り続けた。

 12月に入ると武豊のスランプは深刻を極めた。
 勝てない。とにかく勝てないのだ。もがき苦しむ豊をよそに、時間は残酷なまでに過ぎていく。ここまで順風満帆な騎手人生を送っていた武豊の大きな挫折は、天皇賞から有馬記念まで悪夢の41連敗という数字にも表れた。

 それでもファンはマックイーンと武豊を支持した。ファン投票は1位。単勝ももちろん圧倒的な1番人気に推して、彼らの復活を願った。
 1991年12月22日の有馬記念。
 レースはツインターボが早いペースで引っ張り、近年まれにみるハイペースで進む。完全にペースを読みきっていた武豊は、マックイーンをいつもより後方につけさせた。
 やがてバテ始めた先行集団を上手にさばきながら、4コーナーでは前を完全に射程圏内に入れる。
「勝てる。今度こそ勝てる。このペースでこの位置から、マックイーンを後ろから交わせる馬はいない」

 だが自信と栄光を取り戻そうとしていたその矢先、内から黄色い帽子が豊の視界に入ってくる。
「内から黄色い帽子、これは……これはダイユウサク! 何とびっくりダイユウサクです」
 アナウンサーの驚きの声にシンクロし、歓声が悲鳴に変わる。敢然と先頭に立とうとするマックイーンの内から、いつの間にやらするするとダイユウサクが抜け出していた。

 ダイユウサクはこの年の金杯を勝っただけ、しかも京都大賞典で対戦したマックイーンからは2秒も離されているのである。それが2003年にシンボリクリスエスに破られるまで残っていた大レコードタイム、2:30.6を計時してGI タイトルをもぎ取るのだから競馬は分からない。
 その後のダイユウサクは6戦して見せ場すら作れずに現役を退いた。まさに一世一代の大仕事の前に、マックイーンと武豊はまたも失意の海に投げ出された。

 天皇賞親子三代制覇を果たし、王道を歩み続けたマックイーンと武豊がこの年に手にしたGI タイトルはわずか一つだけ。全てのレースで一番人気に推された王者としては、あまりに寂しい結果である。
 積み重なる失意と挫折はいったい何のため。彼らの悲痛な叫びは、中山競馬場の冬空に沈んだ。

第五章 「意地」

第六章 「失意と挫折のとき」

第七章 「地の果てまで駆ける馬 天まで昇る馬」

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