The tale of Mejiro McQueen

メジロマックイーン物語『栄光と挫折は紙一重』 - 第九章 「斜陽」

 年が明けた93年。
 春の天皇賞3連覇に照準を絞り、乗り運動を開始していたマックイーンだが、順調さを欠いていた。骨折部分に骨膜を発症し、満足な調教を積めないでいたのだ。
 脚元を気遣いながらの調整で一進一退を繰り返す毎日。進まない調教過程に、一時期は現役続行不安説も囁かれる。

 マックイーンの苦しみをよそにライバル達は順調なステップを踏んでいた。中でも一気に頭角を現してきたメジロパーマーとライスシャワーの存在は不気味だった。
 宝塚記念、有馬記念と二つのグランプリレースを制したメジロパーマーは、年明け初戦となった阪神大賞典でいよいよその実力が本物だということをアピールする。
 早いペースで逃げながらもなおバテず、それどころかゴール前でさらに「ぐいっ」と一伸びして、ナイスネイチャ以下を完封。タケノベルベッドの手綱をとっていた武豊も、その底知れぬ強さを肌で感じ取っていた。

 一方、菊花賞でミホノブルボンの3冠を阻んだライスシャワーは、有馬記念と目黒記念こそ敗れたものの、日経賞を強い勝ち方で制し、打倒マックイーンの烽火をあげていた。

 マックイーンは意気揚々と春の天皇賞へと向かうライバルたちを横目に、産経大阪杯でゆっくりと始動した。
 中間の調整遅れは周知の事実で、普段ならマックイーンを恐れて小頭数になるはずのトライアルレースも、この日は16頭立てのフルゲート。チャンスの目が少なくないことを、どの陣営も感じていたのだ。特にナイスネイチャ陣営の意気込みは並々ならぬ強さだった。
「ここでマックを倒さず、いつ倒す」

 馬体重はプラス14キロの504キロ。11ヵ月ぶりとはいえ実績は断然、だが中間の調整具合とこの馬体重がリンクして不安が不安を呼ぶ。そして遂にマックイーンを信じきれなくなった人々が、ナイスネイチャへと投票しはじめる。すると2頭の単勝オッズはみるみるうちに縮まり、最終的にかろうじてマックイーンが単勝一番人気を死守したものの、その差は極僅かだった。
 GII のレースで圧倒的な一番人気を集めなかったのは、後にも先にもこのレースだけである。
 不安が期待を押しのけようとする中、1993年4月4日阪神競馬場、産経大阪杯のゲートは開いた。

「3度目の春の盾を求めて、また名優が阪神の舞台に戻ってまいりました」
 いつの間にかマックイーンには『名優』というニックネームが定着していた。

 メジロ牧場は生まれた年によってテーマが決められ、それに沿って馬名が付けられる。
 マックイーンが生まれた年のテーマは「アメリカの偉人」で、一番期待されていたメジロルイスは陸上の『カール・ルイス』、メジロライアンは野球の『ノーラン・ライアン』、メジロパーマーはゴルフの『アーノルド・パーマー』といった具合である。
 そしてマックイーンは、俳優の『スティーヴ・マックイーン』から名付けられた。

 マックイーンは武豊が抑えきれないほどの手応えで、逃げるラッキーゲランの2番手に付ける。まだ不安はファンの隣で微笑んでいた。
 3コーナーに差し掛かると、マックイーンはもう我慢できない様子で先頭に並びかける。後続が激しく手を動かしはじめているのにも関わらず、武豊の手綱はピクリとも動かない。
 ようやくファンも気が付いた。
 マックイーンはこんな困難で弱音を吐く馬じゃない。不安はいつしか姿をくらましていた。

 同厩舎のラッキーゲランを4コーナーまでたっぷりと可愛がると、直線入り口で一気に突き放す。ターフビジョンに映る自身の姿と後続との差で、武豊はステッキを振るう選択肢がないことを確認する。

「名優の復活っ~! 名優の復活っ~!」
 杉本節と共に電光掲示板に灯るレコードの文字。チャンス十分だったはずの馬たちは、マックイーンの5馬身後ろでまったく別のレースを展開しているようだった。

 検量室へ戻った武豊に報道陣が、「不安がなかったか」などと矢継ぎ早に質問する。武豊は笑顔のままで答えた。
「そういうレベルの馬じゃないんですよ」

 天皇賞春の最終追い切り日。
 栗東トレーニングセンターの記者席で誰かが叫ぶ。
「おいおいおい、的場はいつまで追ってるんだ。ゴール版はとっくに過ぎてるぞ」

 美浦所属のライスシャワーは、天皇賞に向けて事前に栗東トレーニングセンターへ入厩していた。身体の小さいライスシャワーが長距離輸送で消耗しないようにという、陣営の配慮だった。だが目の前の光景は、そんな心遣いをまったく無駄にしてしまうような矛盾さを抱えていた。

 美浦から的場騎手が駆け付け行われた最終追い切り。
 長めからびっしり追われていたライスシャワーだが、ゴール板を過ぎても的場の手は一向に緩まない。一発、二発と鞭を飛ばし、さらに追い続ける。
 事情を飲み込めない記者たちが、調教を終えたばかりの的場を囲む。
「これぐらいやらないと、マックイーンには勝てない」
 その側を通り過ぎたライスシャワーは、「フゥーフゥー」とやや息を荒げながら鋭い眼光で近づく者を威嚇し、誰も近づけさせないほどの殺気に満ちていた。

 春の京都競馬場のGI ファンファーレ、手拍子、そしてマックイーン。
 誰がいても、何があっても、この舞台はいつもマックイーンのためだけに用意されていた。
 そして3年目のゲートイン。
 だが入らない。係員が必死に引っ張るもゲートに入っていかない。

 年を重ねるにつれて、マックイーンは少しでも気に食わないことがあると、言うことを聞かない気難しい面を出すようになっていたが、この日の何が気に食わないというのか。
 レースはメジロパーマーの速い逃げではじまる。マックイーンはパーマーを射程圏内に入れつつ4,5番手を追走。ライスシャワーはそのマックイーンをがっちりマークし、すぐ背後でじっくりと構える。

 パーマーと鞍上の山田泰成は中盤に差し掛かってもペースを落とす気配を見せなかった。スタート直後の13.0からはじまり12.0-12.3-12.3-12.3……と全て12秒台前半のラップタイムが刻まれていく。2000M通過が2:04.0。昨年のパーマーの逃げより、実に2秒以上早いペースである。
 しかし山田泰成には一切の邪念はなかった。「よどみの無い逃げこそが、パーマーの力を最大限に生かすのだ」と彼はパーマーの力を信じきっていた。

 この外連味の無い逃げが、マックイーンと武豊に難しいレース判断を迫っていた。前を行くパーマーを捕らえつつ、後ろで狙うライスシャワーに捕まらないスパート位置は何処なのか。前も後ろも、そして自分たちもスタミナには自信がある。
 前門の虎、後門の狼に挟まれながら、徐々にその選択肢をなくしていく。そして3コーナーの下り。武豊の出した結論は、前年と同じだった。
「マックイーンの力を信じる」

 この武豊の選択が、このレースを究極のスタミナ比べへと変貌させていく。
「今、マックイーンに付いていかねば勝てない」と直感した的場も、豊とマックイーンの動きに合わせてライスシャワーに「Go!」サインを送る。
「そうは簡単に白旗を揚げるものか」と、メジロパーマーと山田泰成も必死の抵抗を見せる。
 パーマーの早いペースを早めに追い上げたマックイーンとライスシャワーに、後続は付いてこれない。3頭だけが別次元のレースを展開しながら直線に入って行く。

「あっマックイーン、鞭が飛んでいる……今年だけ今年だけもう一度頑張れマックイーン!」
 メジロパーマーを交わしたマックイーンのさらに外から、ライスシャワーが襲い掛かる。スタンドからは悲鳴が起こる。
「しかしライスシャワーだ! ライスシャワー先頭……」
 極限のスタミナ比べは、究極の仕上げを施されたライスシャワーに軍配が上がった。黒光りする小さな弾丸は、3:17.1の速さでマックイーンを仕留めた。それは身を切り、骨を断たせ、全身全霊で勝ち取ったライスシャワーによる魂の勲章だった。

 そして直線でほぼ無抵抗なまま敗れたマックイーンに対して囁かれる限界説。
 マックイーンの王朝は斜陽に差し掛かったのか……。

第八章 「新たな輝きと狙う黒い弾丸」

第九章 「斜陽」

第十章 「陽はまた昇る」

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