SVG Modal background
Close

The tale of Mejiro McQueen

メジロマックイーン物語『栄光と挫折は紙一重』 - 第七章 「地の果てまで駆ける馬 天まで昇る馬」

 23歳の誕生日を目前に控え、武豊はすっきりとした顔立ちでインタビューに受け答えをしていた。どこか吹っ切れたような、それでいてしまっているような。とにかく一連の悪い流れを断ち切ったことは、その顔を見れば一目瞭然だった。
「目標は先ですが、ここでは負けられませんよ

 1992年3月15日、阪神競馬場で行われる阪神大賞典にマックイーンと武豊は姿を見せた。単勝の人気はもはや恒例の1倍台、この日は130円である。相手の筆頭には昨年の夏から急成長を遂げ、日経新春杯を制していきあがるカミノクレッセが挙げられていた。

 レースは6頭立てという少頭数のために、スローな展開で進む。カミノクレッセは、3番手に付けたマックイーンを虎視眈々とマークしていた。
 3コーナー過ぎにマックイーンが動き出す。カミノクレッセと南井騎手もその動きに反応する。4コーナー過ぎには早くもマックイーンが先頭。そしてすぐ背後には南井の激しいアクションに応えてカミノクレッセが迫る。杉本アナウンサーが叫ぶ。

「やはり一騎打ちになるのか。一騎打ちにさせるのか。いやならないならない。一騎打ちにはさせない。させない。差が開いた差が開いた……」
「今年も春の天皇賞に向けて視界よし。4番のメジロマックイーンと武豊。堂々たる勝利。文句無し。一騎打ちにはさせませんでした」

 昨秋の悪夢を一気に振り払うかのように、マックイーンと武豊は後続をちぎり捨てた。終わってみればカミノクレッセに5馬身の差を付けての圧勝劇。トライアルレースではさほどの喜びを見せない武豊も、この日は素直な心情を見せた。
 自身の誕生日を最高の形で飾った豊の屈託のない笑顔の奥には、昨年の苦しみの大きさと、それを乗り越えようとする決意が滲んでいた。
 記者たちはその強さに呆れながらタイプを叩いた。
「天皇賞春連覇は間違いない」

「いや~外から見ていても柔らかいフットワークで、素晴らしい馬だと思っていたが、想像以上だ。この馬となら地の果てまでも駆けてしまいそうだよ」
 世界の岡部と謡われ、冷静沈着かつ卓越した競馬観からあまり多くを語らない岡部幸雄騎手が、珍しく興奮しながらインタビューに受け応えた。

 美しい瞳と艶やかでしなやかな身体。見る者全てをうっとりさせる美しい馬体を揺らしながら、産経大阪杯のパドックに岡部を興奮させた主が姿を現す。2枠2番トウカイテイオー。プラス20キロという身体は10ヵ月の休み明けのためだった。

 トウカイテイオーは皐月賞とダービーを無敗で難なく制し、あっという間にスターへの階段を駆け上がったのだが、ダービーのレース中に骨折を発症し、惜しくも父シンボリルドルフとの親子二代無敗での3冠という偉業を逃していた。
 しかしいくら無敗でもここははじめてとなる古馬との対戦で、しかも長期の休み明け。ファンの間でも半信半疑の声が上がっていた。だがそんな不安を全て打ち消す圧倒的なパフォーマンスをテイオーは見せ付ける。

「見たかマックイーン、今年の盾は面白いぞ!」
 岡部はただの一度も手綱を動かすことがなかった。その必要性すらなかった。まったくの馬ナリでホワイトストーンやダイユウサクといった古豪たちを置き去りにしてしまったのだ。
 この強さに武豊も「強いですねぇ……」と苦笑いするばかり。
 トウカイテイオーの圧倒的な強さを前に、記者たちも3週間前に自分自身で書いた記事を忘れていた。
 メジロマックイーン断然の天皇賞から、トウカイテイオーとの2強対決へ。

「この馬となら地の果てまでも駆けてしまいそうだよ」
「あちらが地の果てなら、僕の(マックイーン)は天にまで昇りますよ」

 産経大阪杯の最終追い切り時に岡部がこぼしたコメントに、武豊は自信満々で切り返した。
 地まで駆ける馬か、天まで昇る馬か。
 結論を求めて、議論は普段競馬を見ない人までをも巻き込む空前の盛り上がりを見せた。時に職場で。時に学校で。時に飲み屋で。時に喫茶店で。時に、時に、時に、時に……。
 テイオーかマックイーンか。机上でそれぞれの天皇賞が何度も何度も行われた。各々の結論は真っ二つに別れていたが、共通している言い方、書き方があった。

『TM対決』。
 MTではなくTM、つまりテイオー優位の書き方である。そしてその言葉通り、マックイーンは菊花賞を制覇して以来守り続いた1番人気の座をテイオーに譲ることになる。

 1992年4月26日、第105回春の天皇賞。
 そろそろゲート入りがはじまろうとする頃、京都競馬場10万の観衆が一斉にどよめく。あろうことか大決戦主役の一頭であるマックイーンが、発走直前に蹄鉄を打ち変えることになったのだ。スタンドが受けた衝撃は少なくなく、どよめきは一向に収まらない。
 1年前の桜花賞。興奮したために鉄を打ち変えさせず、結局裸足のまま駆け出し5着に敗れたイソノルーブルの悪夢が蘇る。

 だがマックイーンはまるで他の馬とジョッキーたちをじらすかのように落ち着いて鉄を打ち変える。その姿はあたかも巌流島で佐々木小次郎を待たせた宮本武蔵のようだった。
「対決の時きたる……」
 杉本アナウンサーの渋みのある声でレースがはじまる。と、次の瞬間に早くも最初のハイライトシーンが訪れる。いつものように折り合いを付けながらゆっくりと5,6番手の位置へとりつこうとするマックイーンのすぐ後ろにトウカイテイオーの姿が迫る。スタンドはドッと沸く。
「おっ!トウカイが行くのか?今日はトウカイの方が前に行くのか。どうするんだ岡部」

 だが岡部は落ち着いてテイオーを中団へと下げていく。ここはまだまだ顔見せに過ぎない。
 前年の阪神競馬場改築による京都競馬場の酷使が原因か、芝は所々剥げ、何度も砂埃が舞い上がる。その悪コンディションを避けるように、武豊は一週目のスタンド前から外目、外目へとマックイーンを御していく。その動きに合わせるようにテイオーも、外へ外へと歩を合わせる。

「さぁ京都のスタンドのみなさんとご一緒に、テレビの前のみなさんもご一緒に、5番メジロマックイーンにご注目ください。14番にご注目ください。トウカイテイオーです」
 ターフビジョンにマックイーンの姿が、テイオーの姿が映るたびにスタンドが揺れる。どんな些細な動きも見逃さない。そんな集中力の高まりが、いよいよこのレースの緊張感を最高レベルへと押し上げていく。

 そして3コーナーののぼり。マックイーンが徐々に動き出し、前へと取り付いていく。それをマークするような形でトウカイテイオーもマックイーンの背後へ脚を進める。勝負どころと感づいた杉本アナウンサーの声が熱を帯びてくる。
「春の盾は、春の盾だけは絶対に譲れないマックイーン。春の盾こそ絶対に欲しいトウカイテイオー」

 4コーナーの下りに差し掛かる直前に、武豊はテイオーの位置をちらりと確認するが、すぐに前だけを見つめ直す。もう胸の中に迷いはなかった。失った栄光を取り戻すため、武豊は全幅の信頼をマックイーンに寄せた。決意を込めて、4コーナー下りからのロングスパートを開始する。
「来れるものなら付いてこい。この距離で負けるわけがない。ここからスパートして、マックに付いてこられる馬がいるわけがない」

 マックを信じる強い気持ちから、武豊の胸にあの時失った自信が蘇っていた。
 今まで見せられたことのない闘志で力勝負を挑まれたテイオーは、徐々に脚色をなくしていく。
 2強対決の夢は直線半ばで脆くも崩れ、早々と一強独壇場に。

「さぁマックイーンだ! マックイーンやった! どんなもんだい! どんなもんだいといったところ」
 後方でもがくテイオーを尻目に、マックイーンは悠々とゴール版を駆け抜けた。史上初の春の天皇賞連覇の瞬間、そして栄光を取り戻した瞬間、何より大きな挫折を乗り越えた瞬間だった。武豊は左手の拳を握り締め、軽くガッツポーズした後、ポンポンとマックイーンの首筋を叩いた。

 検量室に戻った武豊は、満面の笑顔を見せながら、囲んだ報道陣に本音をぽつりと吐露した。
「心底うれしかった……」
 大きな挫折の直後に現れた大きな壁に対し、武豊とマックイーンが選択したのは下手な小細工でも何でもなく「自分たちを信じる」こと。
「挫折は、それを乗り越えられる者にしか与えられない」
 神様から与えられた挫折を乗り越え、マックイーンと武豊は真の王者の称号を手にした。

 だが神は、新たな試練を彼らに用意していた。

第六章 「失意と挫折のとき」

第七章 「地の果てまで駆ける馬 天まで昇る馬」

第八章 「新たな輝きと狙う黒い弾丸」

Top page The tale of Mejiro McQueen